虚無主義と空の思想

虚無主義と空の思想


私にとって虚無主義とは全ては無より始まり無に帰すから全ての我々の営みは虚しいというものです。


ちなみにウィキペディアには、


ニヒリズムあるいは虚無主義とは、今生きている世界、特に過去および現在における人間の存在には意義、目的、理解できるような真理、本質的な価値がないと主張する哲学的な立場である。とあります。


仏教では諸行無常を説きます。つまり、永遠の存在というものを否定しています。


また空の思想を主張した一派は虚無主義と同じではないかと攻撃され、それに対して強く反論しています。


虚無主義を無の思想だとすると、永遠のブラフマンとアートマンがあるとするバラモン教などは、有の思想だと言えると思います。


仏教の空の思想は、不変の実体というものはなく、すべては相互依存関係により変滅しているというものです。


私はこれは結局、有の思想に分類できるのではないかと思います。


何もないのではなく、何かがあってその相互依存関係により、現実は仮の姿として存在するというものだからです。


どの思想を自分のものとするかは、好みの問題であると思います。


私たちの宇宙は一番始めはどうであったのかを想像してみると、 時間も空間も物質もない私たちの五感では無としか言えない世界で、エネルギーの収束が起こり、現在の宇宙が始まったと考えると、エネルギーの収束を起こすものがある以上、基本的には有の世界がベースではないかと私は思います。


虚無主義は私の印象では、投げやり、

やけっぱちの思想です。全ての価値を否定しては、生きるのが苦しいと思います。


仏教は形あるものすべてが無常であると理解して、今を生きよと説きます。


ここである少女の尼僧に対する質問を引用します。


彼女の両親は事業で失敗して自殺をしてしまいました。


「 自殺はいけないことですか?」 というのが彼女の質問です。


彼女にとっては心の大きな負担なのでしょう。


尼僧の回答を私は知りません。 が、仏教的に言うと、仏教は一切皆苦を説きますから、苦しみに対する理解はあります。 しかし、釈尊は 苦しみから遠ざかり離れる為に心に刺さった毒のトゲを取り去るために、生涯人々に語りかけました。 仏教は事の善悪を問いませんが、事を成す前に心に刺さった毒のトゲを抜いてみてはどうだったのだろうかということになると思います、


毒のトゲとは私たちの執着心です、


心の苦しみというのは私たちの執着心が作り出す幻想に等しいものです。


それを克服して私たちの形態が変わるのをあわてず、騒がず、心静かに待てるようになる。これが仏教の理想です。


苦しみには2種類あります。


一つは歯痛のような肉体的不具合による痛み。これは歯医者さんに行くのが早く解決します。


もう一つは心の迷いによる悩み、苦しみです。


その根本には自分のこだわり、執着心があることを知って解決の糸口を見つけることを仏教はすすめます。



言うは易し、行うは難し、かもしれませんが・・・・。


      サーヴァカ

×

非ログインユーザーとして返信する