ブッダの教えからなにを学ぶか。

ブッダの教えから何を学ぶか。



わたしは、一時期食い入るようにブッダの教えを読んでいました。最近は少し落ち着いています。もちろん、卒業は、できていませんが、この頃は、何を学ぶべきなのだろうとボンヤリ考えています。


この世は、仮の姿である。変化、生滅するもので、恒久不変のものはなく、今は、一時的に現れた姿である。いわゆる諸行無常の教えは、腑におちたような気がしています。


一切皆苦。

一切は、苦しみである。原義は、思うがままにならないという意味のようですが、苦しみという漢訳も、なかなか適訳のように思えます。

生きるということは、苦しみである。わたしは、まさしくそうであると思っていましたが、苦しいというのは、あるこころの状態、体の状態であると気づきました。


睡眠、食事、運動などにより、体を整え、正しく物事を捉えれば、その時は、苦しいと感じずにいられます。


苦しいより、楽しい方が良い。ただ、楽しみの裏には、苦しみが、潜んでいる。そのことに気をつけながら、安らかに生きたいと思うのであります。


ブッダは、出家せよと説きますが、心身が、健康でないと難しい。虫歯1本でも、医者がいないと、耐え難い。


ブッダの説く理想の状態は、難しいとしても、教えは、学ぶところが多いと思います。


日常生活に埋没しながらも、時々は、立ち返るべきなのだろうと思っています。


それにしても、快適に生きるということは、難しいことです。


ただ、一切皆苦の感覚から、抜け出せるかもしれないというのは、今のわたしの一筋の光明です。


こころ静かにその時を待てというのも私には、貴重な教えです。


ブッダの教えを聞くときだけ、清涼になれるような気がするのは、私の偏りでしょうか。




        サーヴァカ

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