仏教における婦人の問題についての考察③
仏教における婦人の問題についての考察③
この問題については私の確かめた事を書きますと②で予告しました。私の実体験を書きます。
私は20年ほど前に離婚しております。
別れた妻との間に男の子が1人います。
子供は私達が離婚したことを知らずに、毎週末私の所に遊びに来ていました。
そういう状況の中で、私は新しい彼女を作れば私の心は割れるだろうと思いました。
だからしばらく異性との交渉を断ち、お酒も当時やめていたので、ついでにこれもしばらく飲まないようにしようと思いました。
数年その生活が続き、子供が中学生になり、忙しくなり、足が遠のいてきた頃に私と同居していた父が亡くなり、母も続いて体調不良となりその介護の生活が十数年続きました。
彼女をつくる余裕のない生活が20年ほど続いたことになります。
その間私は婦人との交わりを断っております。
私が釈尊は出家後は婬行を断っていたのではないかと思いますと書いたのは、私程度のものでも事情により20年続けたわけですから、信念のある人であれば生涯続けることができるであろうと推測するわけです。
では婦人との肉体的接触を避けると欲望は消滅するのでしょうか、どう思われますか?
答えは否です。心が充実してくると異性に対する欲望も復活します。
① エレファントマン
私は今の状態をエレファントマン状態と呼んでいます。
大人のオスの象は普段はひとりで原野で生活しています。 シーズンになるとそのオスは脳内物質が出て発情期のメスを求めて川辺の雌達の群れまで旅に出ます。そして匂いで相手を見つけます。
人間の場合も同じではないかと思います。
何らかのホルモンが脳内に出るのではないかと。
それで今の状態をエレファントマン状態というわけです。
欲望は消滅するのではなく抑制するものなのです。
生命のもとの操作に対する抵抗するということです。
さて子供は成人し両親を見送りました。
そしてエレファントマン状態です。
年上の友人の話を聞くとあと数年で私の欲望も年齢により消滅するかもしれない。
仏道の求道者になりきるには迷いがあります。
ただ常に発情期の状態にあるかと言うとそうでもありません。何かに熱中している時は忘れています。
暇になるとつい考えてしまうのです。
それで私はどうしたかと言いますと。本能の命じるままに女性にアタックしてみることにしました 。数ヶ月の間に3人の女性を食事に誘ってみました。3人とも電話番号を教えてくれたし、LINE を繋いだりしました。
しかし、その後がいけない。いざ、連絡を取ると私には彼氏がいますとか子供と亭主がいますとか言うのです。
みんな現実の生活を持っている。
彼女達とは別に私を遊びに誘ってくれる女性もいるのですが、私の気持ちが動きません。 私自身が誰でも良いかと言うと簡単には割り切れません。
人間の場合象ように簡単にはいきません。
不倫とうら若い女性を禁じるブッダの言葉も私を縛ります。
最近は自分自身もめんどくさいし、相手選びもハードルがあって難しいと思っています。
確かにレキシントンあるいはドーパミンが私の背中を押しますが、それらのホルモンが脳内に出る状態そのものは不快ではありません。
それらを放置するのも一つの選択肢であろうかと思います。
ブッダの言葉によれば、不婬はニルヴァーナの近くにいることになるのですが・・・
そして修行を極めれば人間を超えた喜びが待っているとあります。
本当でしょうか?
私の手探り人生はあとしばらく続きそうです。
サーヴァカ