無明(むみょう)と解脱(げだつ)
無明(むみょう)と解脱(げだつ)
解脱という言葉には色々な意味があって、例えばウパニシャッドでの解脱や、輪廻からの解脱など、共通の意味を含みながら微妙に異なる意味を持ちます。
ここでは原始仏教の記述による無明と解脱について述べます。
無明(むみょう)
「 迷いの根本である無知」
煩悩におおわれて道理をはっきり理解できない精神状態
煩悩(ぼんのう)
人間の欲情のわずらい、心の迷い。
解脱(げだつ)
悟りを開き煩悩と業(ごう)の束縛から逃れること
愛欲
欲望に執着すること
スッタニパータには次のように記述されています。
ウダヤさんが尋ねた。
「 無明を破ること、正しい理解による解脱を説いてください」 スッタ1105
師( ブッダ)は 答えた。
「ウダヤよ。 愛欲と憂いとの両者を捨て去ること、 沈んだ気持ちを除くこと、 悔恨をやめること」 スッタ1106
「 平静な心がまえと念(おも)いの清らかさ ー それは真理に関する思索にもとづいて起こるものであるがー これは無明を破ること、正しい理解による解脱であると私は説く。」 スッタ1107
悟るというと、とっても難しいことのように言われていますがブッダは難しい言葉は使っていません。
「 最上の真理を見ないで百年生きるよりも、最上の真理を見て一日生きることの方が優れている」 ダンマパダ115
人生の最後の一日だけこのように過ごすように、心掛けてみるというのはいかがでしょうか。
サーヴァカ