自分とは何か?

自分とは何か


世の中では、自分らしさの追求、本当の自分とは何かと良く言われていますが、これは、仏教的思考法ではないと以前書きました。


仏教では自己の本質、不変の本体というものはないとしているからです。


では仏教では自己を否定しているかと言うとそうではありません。


自己こそ自分の主(あるじ)である。他人がどうして自分の主であろうか。自己をととのえたならば得難き主を得る。

         ダンマパダ160


では自分とは何なのでしょうか?仏教的思想を踏まえながら私の私見を述べてみたいと思います。


普通、私と言うと、頭のてっぺんから爪先までの肉体であり、思考の中心である頭で考えている自分です。


肉体(色)は、 分析的に見ると幾つかの化学的物質の塊です、多くは水 H 2 O です。H2Oもさらに細かく見ると陽子や電子、中間子と言った 物質であり、それらも素粒子という物質の最小単位で作られています。


そして肉体の周りには空気と呼ばれている気体があるわけですが、これも 素粒子の一形態です。


素粒子的に見ると全ては素粒子のかたまりであり、その形態の一つが、私の肉体であるわけです。


私の肉体(色)の 本体は何かというと素粒子の一態様にすぎないということになります。


心とは何でしょうか。


存在形態の中に生物というあり方があった。 生物はありたいという欲求とそれを具体化する原始的思考力を持っている。

そして進化により現在の植物や私たちという存在があるわけです。


私たちの心というものはその長い間に形成された生物としての観念でほとんどが満たされている。


私というのは一時的な(生きている間の)管理者なのです。


固執すべき私らしさというのはスパイスみたいなものです。 不変ではない。 変えれば良いのです。

ではどのように変えれば良いのか。


私という実体はない(可変である)という認識に立って、本当の人間らしい人を目指せというのが釈尊の教えではなかろうかと思います。


まあ、理想の人となるということは、とっても難しい事ですが、変化できるという思いは大切だと思います。


       サーヴァカ

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