ドータカと釈尊

ドータカと釈尊


しばらくぶりに原始仏教の経典スッタニパータ読みました。 やはり私は好きですね、この思想が。どこを読んだかと言いますと、彼岸に至る道の章の一部です。


六 学生ドータカの質問


1061

ドータカさんがたずねた。「先生! 私はあなたにおたずねします。このことをわたくしに説いて下さい。偉大な仙人様。わたくしはあなたのおことばを頂きたいのです。あなたのお声を聞いて自分の安らぎ(ニルヴァーナ)を学びましょう」


1062

師(ブッダ)が答えた。「ドータカよ、 ではこの世において賢明であり、よく気をつけて熱心につとめよ。この私の口から出る声を聞いて自己の安らぎを学べ。」


1063

「わたくしは、神々と人間との世界において 何ものも所有せずにふるまうバラモンを見ます。 あまねく見るかたよ、わたくしはあなたを礼拝いたします。シャカ族の方よ。わたくしを諸々の疑惑から解き放ちたまえ。」


1064

「ドータカよ。わたくしは 世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう。ただそなたが最上の真理を知るならば、それによってそなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。」


1065

「 バラモン様。慈悲を垂れて、この世の苦悩から遠ざかり離れる理法を教えてください。わたくしはそれを認識したいのです、わたくしは虚空のように、乱され濁ることなく、認識したいのです。 この世において静まり、依りすがることなく行いましょう。」


1066

師は言われた、

「ドータカよ。 伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに解き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り越えよ。」


1067

「 偉大な仙人さま。わたくしはその最上の安らぎを受けて歓喜します。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り超えましょう。」


1068

師は答えた、

「ドータカよ。 上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない 」と。



付記:

私がよく読み返すのは1064詩です。

教典はどこでも同じような事を言っているのですが、ここでは明らかに ブッダが人を救うことはできないと明言しています。つまり、霊力や 大いなる力によって 人を救うことはない。 ただ、言葉を説くだけです。 そして最上の真理によって 自らの力によって煩悩の激流を渡るのです。 煩悩とは、執著のこだわりを楽しみ、 執著のこだわりに耽り、 執著のこだわりを嬉しがる心です。


そして、 最上の真理とは、 全ての執著を捨て去り、ニルヴァーナに至ることが、最上の境地であると知ることです。


快楽と執著に耽溺している状態が無明(むみょう)であるということができると思います。


そのことに気づくことが大切なのです。

気づき、気を付けていれば、いつかは至れるかもしれない。


私は私の煩悩と戦いながらそのように思っています。


    

        サーヴァカ

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