悪魔パーピマン

悪魔パーピマン


原始仏教経典を読み出してだいぶ経ちますが、気にかかっている文章があります。それが悪魔パーピマンと仏陀の次の会話です。


スッタ二パータ34、35より。


悪魔パーピマンがいった。

「 子のある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。人間の執著(しゅうじゃく)するもとのものは喜びである。執著するもとのない人は実に喜ぶことがない。」


師は答えた。

「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著するもとのものである。執著するもとのもののない人は憂うることがない。」


これは最初読んだ時、世の人々はパーピマンに賛同する人が多いのではないだろうかと思いました。


仏陀は言います。「 私の教義を私への尊敬のために受け入れてはいけない。自ら試してみなさい」と。


今は、半分ぐらい仏陀の言葉の意味が分かります。無所有の完全実践は難しいとしても、執著を離れるように心がけることにより心は楽になるのです。


皆さんはパーピマンの言葉をどう受け止められますか?



        サーヴァカ

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