仏教における婦人の問題についての考察①

仏教における婦人の問題についての考察①


仏教は何も男性だけのものではなく、尼僧もいるので、婦人の問題ではなく、異性の問題とすべきかと思ったんですが、最初期は、男性のみで教団がつくられていたということと、私が男性であるということで、婦人の問題としました。


男性の考えていることは、同性ですので多分わかるのですが、女性の考えていることはあまり自信がありません。


さて仏教にはたくさんの戒律がありますが、出家した修行僧が婦人と肉体的接触を持つことを仏教では当初から禁じています。これをおかすとバラージカという大罪を犯したことになり教団を追放されていたようです。


戒律は最初からたくさんあったわけではなく、教団が形成され、人が増え、秩序を守るために、戒律が増えていって、全ての戒律を守ることは事実上不可能という状況になったようです。


なかでも婦人に関するこの戒律は 仏教の 一つの特徴であり、男性にとってはなかなか辛いものです。


私も若い頃はこの戒律があるというだけで、とても自分には無理な宗教だと思ったものです。


それだけに釈尊の教えを学ぶ中で、この問題について思うところがあるので、それを書きたいと思います。


① 釈尊はこのことについて何と言ってい  るか


釈尊は晩年も身の回りの世話をするアーナンダという弟子とごく少人数で、遍歴の旅をしていますが、アーナンダとの会話に次のようなものがあります。


大パリニッバーナ教 第5章 九


「 尊い方よ。わたくしたちは婦人に対してどうしたらよいのでしょうか?」


「 アーナンダよ、見るな。」


「 尊師よ、しかし見てしまった時にはどうしたらよいのでしょうか?」


「 アーナンダよ、話しかけるな」


「 尊い方よ、しかし話しかけてしまった時にはどうしたらよいのでしょうか?」


「アーナンダよ、 そういう時にはつつしんでおれ。」



中村元氏訳注


つつしんでおれー「 修行僧らよ。お前たちは母のような女に対しては母だと思う心を起こせ。姉妹のような女に対しては姉妹だと思う心を起こせ。娘のような女に対しては娘だと思う心を起こせ。」


まあ明快な答えです。次に成道の後に妻を持つように勧められた釈尊の言葉です。


②マーガンディヤに対するブッダの返答


伝説によるとマーガンディヤというバラモンが自分の娘を盛装させて同道し、ブッダの妻として受納するよう乞うた時にブッダは次のように語ったという。


スッタニパータ835

師(ブッダ)は語った。

「 我は昔さとりを開こうとしたときに愛執と嫌悪と貪欲という3人の魔女を見ても彼らと婬欲の交わりをしたいという欲望さえも起こらなかった。糞尿に満ちたこの女がそもそも何者なのだろう。私はそれに足でさえも触れたくないのだ」


なかなか強いお言葉です。この835以下続くマーガンディヤとの会話はなかなか味わい深いものです。引用したいところですが今回は見送ります。


③ティッサ・メッテイヤ


釈尊にこの問題について直接的に尋ねた文章があります。いくつか抜粋しましょう。


スッタニパータ814~822


814

ティッサ・メッテイヤさんがいった

「 きみよ、婬欲の交わりに耽るものの破滅を説いてください。あなたの教えを聞いて、われらも独り離れて住むことを学びましょう。」


815

師(ブッダ)は答えた。

「メッテイヤよ。婬欲の交わりに耽るものは教えを失い、邪(よこまし)な行いをする。 これはかれのうちにある卑しいことがらである。」


817

かつてかれの持っていた名誉も名声も全て失われる。 このことわりを見たならば婬欲の交わりを断つことを学べ。


820

独りでいる修行をまもっているときには一般に賢者と認められていた人でも、もしも婬欲の交わりに耽ったならば愚者のように悩む。


821

聖者はこの世で前後にこの災いのあることを知り、独りでいる修行を堅く守れ。婬欲の交わりに耽ってはならない。


822

俗事から離れて、独り居ることを学べ。

これは諸々の聖者にとって最上のことがらである。しかしこれだけで「自分が最上のものだ」と考えてはならない。

 ーかれは安らぎに近づいているのだが。



いかがですか。なかなか厳しいですね。

私はよく政治家で女性スキャンダルで失脚する人がいることを思い出しました。


釈尊が最初に教えを説いたのは出家修行僧の仲間に対してです。だから、当初ブッダの教えは出家者に対してのものであると考える人もいました。


確かに悟りを目指す修行僧あるいは聖者と呼ばれるような立派な人に対しての厳しい教えであると言えると思います。


しかし釈尊の教えは出家者に対してのみのものではなく、在家の人々にとっても貴重なものです。


釈尊は在家の人々の生き方も否定していないと私は考えております。


次回は在家者である私がこの問題をどうとらえているかを述べたいと思います。



           ー続くー

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