アートマンについての自問自答
アートマンについての自問自答
Q: それで君は アートマンは結局のところいると思うのかねあるいはいないと思うのかね。
A: 結論から申しますとアートマンに相当するものはいると思います。 ただヴェーダでいうアートマンとは多少異なりますが。
Q: ヴェーダでいうアートマンとは?
A: 輪廻の主体となる霊魂です。
Q: 君はすべてのヴェーダを読んだのかね?
A: いえ、これからです。
Q: ふーん。で、 君の尊敬するゴータマブッダは何と言っているのかね?
A: ブッダは諸法非我を説きますから、 アナートマン の立場と言われているようです。
しかし、 無明を破り、迷妄を脱して覚ったが故に、 これが最後の身体であると説きます。 最後の身体ということは、 これまで輪廻してきて、覚りにより 輪廻を解脱するということです。 また心の解脱を欠き、 知恵の解脱を欠けば、 輪廻を終滅させることが出来ず、 迷いの生存を繰り返すと説きます。 つまり輪廻を否定していません。
また「 自我に固執する見解を打ち破って 世界を空なりと観ぜよ。このように世界を観ずる人を死の王は見ることがない」というのは、アートマンに固執することなく、 真のアートマンを確立せよと言っているのだと思います。
Q: 要するにどう言ってるのかね?
A:自我( アートマン) を 否定して、 真の自己( アートマン)を 実現せよと言っているのだと思います。
ただ体と霊魂は同一のものである、 あるいは 異なるものであるか といった問いに対して無記( 無回答)を 通しています。
アートマンの存在そのものについては無回答のようです。
Q: 君自身はどう考えているのかね?
A: 私は霊魂の存在については 懐疑的です。 なぜなら自分でそれを確かめることが今できないからです。
Q: 普通の人はどう思ってるんだろうね?
A: 日本人は 伝統的に霊性に対して敬虔であるように思われます。 神社仏閣に対する態度はそうであります。 日本人だけでなく世界の多くの人々が信仰を拠り所にしている。
これはブッダが現れたバラモン教の世界と似ています。
ブッダは信仰を解き放て( 捨てされ)と説きます。
Q: 君は無神論者かね?
A: 自分で確かめることができないものは、とりあえず横に置いておくということです。
Q: しかし君を最初にアートマンに相当するものはいると言ったんじゃないのか?
A: 言いました。
Q: その意味するところは何だね?
A: それは生命の根源的意思というか生物の進化の意志の継続です。
Q: というと?
A: 我々の祖先はバクテリアのような微生物であったと考えられています。 それが子孫を残すという方法で 生滅を繰り返しながら 現在の我々の体のような 複雑な 体を獲得しました。 遺伝子によりその生物の情報が伝えられて いるようですが、 その遺伝子という方法を考えたもの、継続する意思というものがアートマンと呼ぶに相応しいのではないかと思うわけです。
Q: 人間に限って言っているのかね?
A: いいえ、全ての生物について言えます。
Q: 一個の人間には恒久な魂というものは無いと言っているのかね。
A: 赤ん坊は まっさらだけれども素質というものを受け継いでいる。 それが環境に適応しながら完成されていく。 私は年齢的に言うとほぼ一個の完成された個性だと思うのですが その魂が死により抜け出て他のからっぽの肉体に宿るとは考えにくいのであります。
体( 植物でも同じ)が あれば 霊性は存在する。からっぽの肉体はありえない。 生滅により常に鮮度を保つというのが生命の根源的意志の辿り着いた種の継続方法です。
Q: 君は死ねばその個体は終わりだというのだね。
A: 終わりと言うか、もともと恒久なものなど無いと思うわけです。 我々を取り巻く現実も確かに夢ではないけれども、永久のものではない。 仮の姿であるという仏道の考えに私は賛成です。
Q: 私の霊魂は死んだらどうなるのかね?
A: 生物としての役割を終えたのだからやすらぎに帰すれば良いのですよ。
Q: 恨みを持ったり心残りのまま死ぬ人もいるぞ。
A: この世に執着し続けるに値するものはないというのがブッダの教えであると理解します。 永遠に存在する霊魂などという考えにこだわらずに、無執着の境地を目指せということです。 そして生にも死にもこだわらず今だけを生きるのです。
Q: つまり君はヴェーダの思想を否定するのだね?
A: ヴェーダの思想を詳しくは読んでいません。 ただブラフマンが宇宙の根本原理だとするとそれは物質(生物を含む)の存在原理であり、アートマンは 個人( 生物)を 支配する原理であるとすると意思(精神)の存在原理であると 推量しました。
ブラフマンとアートマンが同一であるということは物質と意志の存在原理は同一ということを意味することになる。
と、 このように私は考えました。
Q: つまりはヴェーダによれば 物質も精神も司る不滅の根本原理があるということだね。
A: 私はそのように捉え、また長い間宇宙には根本真理というものがあると考えていました。 それはヴェーダの思想と一致するところがあります。 ブッダはその根本真理を見たのではないかと思っていました。 しかしブッダの主張は少し違います。
Q: 何と言ってるのかね?
A:) 仏教では「法」と いうものが根本原理に相当すると思うのですが、「 一切の形成されたものは無常である」( 諸行無常)と いうのは、 仏教の根本思想の一つであり、 ブッダの思想の継承者の一部である龍樹を代表とする中観派によれば法にも諸行無常は当てはまるようです。 つまり恒久の法というものはない。
法もまた「空」である。空とは相依性であり、 相互依存であると説きます。
この説に立つと、 もともとこれであるというものを持たない空の世界で存在が始まった。 存在が始まると同時に相依性の法というものが現れたということになります。
根本的に恒久なものがあるのか無いのかという点で異なります。
Q: 君の意見はどちらなのだね?
A: 両方とも面白いと思います。 気持ちとしてはやはりブッダに軍配を上げたい。
しかし世の中の宗教とはヴェーダの思想の方が共通点が多いように思います。
私は生命が始まった時にアートマンは生じた。 そして宇宙原理はそれを許容している。 今の宇宙原理は存在の始まりとともに生じた。 このように考えます。
サーヴァカ