無我(非我)に ついての考察
無我(非我) についての考察
主体と客体の同一性という言葉を聞いて無我について考えてみた。
① 水が大量にある。 その一部が氷点下となった時に 氷ができる。 この時、固体と液体の境界が認識される。 固体も液体も成分は同じである。
② 台風について考えてみる。 台風は何かというと水と空気である。 その時の態様をとらえて、台風というものを客体化する。 その方がとらえやすいからである。
③ 我々の体について考えてみる。 我々は 身体を外界と隔絶された一つのものと認識する。 それはいくつかの分子構成物質、 百いくつかの化学物質 )かたまりである。
我々は自分の体があると思っているが 、それは素粒子の一つの態様と見ることもできる。
氷に意志と呼ばれるものが宿れば生物と呼ばれるようになる。
全てのものは素粒子の存在状態であって、 外界と自分との境目などないと見ることもできる。 私は私であるというのはそう考えた方が便利だからでだろう。
氷が私は氷と主張したところで 今少し硬いだけで 温度が上がればただの水である。
自我をなくすとは、 自分は万物の中の一態様であると自覚することではないだろうか。
「 一切の事物は我ならざるものである」( 諸法非我) と 明らかな知恵を持って観る時に人は苦しみから遠ざかり離れる。 これこそが人は清らかになる道である。
ダンマパダ279
注)
諸法非我・・・ 中村氏解説
「 ブッダは 自己にあらざるものを自己 とみなすことによって苦しみが生ずると説きました、 つまりブッダの言わんとするところはまず。 自己にあらざるものを自己の所有とみなすこと、 ふたつには自己には無常不変の実体があるとみなすこと、 三つには自己の本質があるとみなすこと、これらを否定することが非我の内容であると説きます。」
中村氏解説を言い換えてみると、
非我とは、 まず自己にあらざるものは自己の所有ではない。 二つには自己には無常不変の実体はない。 三つには自己の本質というものはない。 このように理解する者は苦しみから遠ざかり離れる。
追記
いわんとするところは、我執を 打ち破って 真実の アートマン 、真実の 自己 を 実現 せよということらしいです。
サーヴァカ