釈尊の悟りの境地についての補説

釈尊の悟りの境地についての補説


教師の握拳(にぎりこぶし)


『 仏教外の人々には教師の握拳なるものがあって、 若い時には何人にも話さないでおいて、後の時に、死の床についた時に気に入った弟子に語るということがある。それと同様に如来には「私はこれを年老いてから後の機会に話すことにしよう」と言って握拳をつくって取り除いて置かれた何事も存在しない 』

バラモンはこっそりと秘密のうちに弟子に伝授する。しかし、仏教には秘密はないというのである。(中村元氏解説)


自らを島とし、法を島としなさいとありますが、島という言葉はあまり聞きなれないのではないかと思います。


当時のインドでは雨季には時々洪水となり水びたしになったようで、その時の小高い土地を島といったようです。依り所として島という例えを使ったとあります。


また大海における島という解釈もあるようです。


島の原語を燈明と訳した例もあります。


自燈明、法燈明という言葉は近くのお寺に石柱に刻んでありました。


次に法を島としなさいとあるうちの法とは何でしょうか 。釈尊はことごとく理法を語ったとあります。法とはその理法と考えてよいのではないかと思います。理法を調べると「道理にかなった法則」とあります。

何に関する理法なのかということが問題となると思いますが、この世の実相を正しく見て、人としてあるべき姿であるための理法であろうと思います。


初期の仏教では信仰なるもの説きませんでした。何となれば信仰すべき人格も教義も存在しなかったからです。


ただ釈尊という修行僧がいて、私は真理を見たと思うが、皆さんはどう思いますかと言っただけだったからです。


後に釈尊の説く理法に対する信仰が説かれるようになり、さらに後になって大乗仏教で様々な菩薩と仏が創り出され、それらに対する信仰が言われるようになりました。


さて、釈尊の悟りの境地についてと題しましたが、私はアーナンダの言葉に対する釈尊の返答にその境地を見る思いがします。


教団の開祖でありながら、指導者であることを自ら否定しています。自らなすべきことをなし、そして、何の未練も執着も残していません。


釈尊は(最初から)最後まで道の人であったのだと思わせる言葉です。


私は人の晩年に到るべき境地として学ぶべきことは多いと思います。


        サーヴァカ

×

非ログインユーザーとして返信する