訃報の詳細

訃報の詳細



前回友人の訃報が届いた事について書きました、共通の友人を通して詳細を知ることができました。気にかかっている方もおられるかもしれないと思い、記述します。



その友人はその日の2、3日前から足を痛めていたようです。


足にギプスか何かつけてそれでも普通に仕事していました。その足の血栓が肺に詰まったのではないかということでした。


詳細といってもこれだけです。


私としてはそんなこともあるんだという何か不思議な気がしますが、人の命とは微妙なものです。



ここで釈尊が高齢に達し、チュンダという鍛冶職人の施食により食中毒になり、入滅間近という時の言葉を紹介します。


原文が手元にないので主旨を述べます。


(主旨)


木に花がある。


風が吹いて花が散る。


人は花が散った原因は風であると言う。


しかしそうではない。


花が散った本当の原因は、花として生まれたことにある。


花として生まれたものは散る定めにある。


風は縁であるに過ぎない。




人の命も同じである。


生まれたものは滅びる定めにある。


チュンダのくれた縁をむしろ最高の供養だと私は思っているのである。


         ー以上ー


さて、私たちはこの言葉から何を学ぶべきなんでしょうか。



      サーヴァカ

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