目標と気力
目的と気力
仏教では、何かに、執着することを嫌います。仏教を学ぶ者の目標は、悟りであり、解脱であろうかと思いますが、それらに執着していては、解脱できない。
道元禅師は、言います。
悟りを求めて座禅しては、ならない。座禅する姿そのものが、悟りの姿であると。
ところで、私は、あと2年で、定年です。
今の会社の方針では、雇用延長は、ありません。
それで、最近2年後のことを考えました。
年金は出ますが、それだけでは、生活できません。それで、昔の仕事仲間に、電話してみました。 そしたら、資格を取ってくれたら、無理のない仕事で高級優遇できると言うんです。
その資格というのは、私がかつて目指し、惜しいところまでいって断念した資格です。
私は今更この年齢では無理だろうと言ったのですが、彼はあなたならできると強く私の背中を押しました。
私はあまり期待しないでくれと 電話を切りましたが 、再考してみました。
いま、 当時なかった 、心の余裕と時間がたっぷりあります。
私は もう1回だけ チャレンジしてみようかと、最近思うようになりました。
たとえ失敗したとしても、 失うものは多少の教材費ぐらいのものです。いい暇つぶしと充実した時間が過ごせるような気がしました。
それで私にとっては、新しい分野である民法の参考書を買って、勉強を始めてみました。
この15年ぶりの チャレンジは、結果が出せるでしょうか。 勉強ボリュームは2年とみています。
目標を持つと気力が溢れてきて、生活にメリハリができるようになるということがわかりました。
そしてやることがなくて女にのぼせようとする自分をちょっと上から見ることもできます。
2年間継続できるかどうか、そして、良い結果が出せるかどうかは自信の限りではありませんが、とにかくやれるところまでやってみたいと思うわけであります。
サーヴァカ